アンナチュラル8話感想。震災の話も少し。
アンナチュラルがあと二話とか無理
金曜22時TBSドラマ「アンナチュラル」にドハマりしております、ゐなりです。
普段は関ジャニ∞さんなどのオタクをしています。
CMで予告を見た瞬間からこれは絶対面白いと直感して1話から見ていましたが、こんなにすごい作品だとは予想外でした。1話から最新話まではずれなし、毎週楽しみにしています。
毎週毎週、毎週毎週毎週毎週毎週(つまり全話)ボロッッッックソ泣いておりますが、今回は心のいつもと少し違うところに響き、余韻が消えずブログを書くことにしました。
震災の話。
中堂さんから東北の震災という言葉が出てきたときは驚き、思わずのけぞりました。
私は宮城出身です。
どちらかといえば山が近い、田んぼが広がる内陸部の町で育ったため津波に巻き込まれることはありませんでした。
家族にも親戚にも亡くなった人はいません。原発事故による放射線の影響で家を手放すことにもならなかったし、避難生活も1週間ほどで家に帰ることができました。
ついこないだハタチを迎えたばかりの若輩者がこの話題について触れることに、すでに腰が引けております。
しかし、私自身忘れたくないという思いもあり、少しあの日について考えるきっかけが作れたら嬉しいな、というスタンスです。
宮城は地震がかなり多いです。引くほど多いです。
正直に言ってしまうと地震には慣れていて、私や私の周りの人たちは震度3か4くらいまでならこたつから出ることもしません。
テレビの速報で震度を確認する前に、体感でどのくらいか当てることなんかもゲーム感覚でしていました。とんでもねぇ野郎だな(私だよ)
しかしあの日、経験したことのないほどの強い揺れにいつものようにヘラヘラ笑うことはできませんでした。
卒業式の前日で、在校生の私は3年生の教室を掃除していました。
雑巾で床を拭いていると、地響きが鳴り、自分の体が意に反する形で揺れ始め「あ、地震だ」と気がつきました。
すると次の瞬間、大きな、大きな揺れが。
四つん這いのような姿勢だったために転ぶことはありませんでした。しかし逆に地面が動くという、自然の、人間の力では絶対にどうすることもできない巨大な力を体全体で捉えることになり、恐怖を覚えました。あの感覚は今でもはっきり覚えています。
気象庁では震度6強・震度7を「立っていることができず、はわないと動くことができない。揺れにほんろうされ、動くこともできず、飛ばされることもある。」と定義しています。*1まさにこの通り、このままの状況でした。
かっこつけたいお年頃の私は恐怖を隠しながら友達にしがみつき、「立ってられねーwwwちょっとつかまっていい??www」と声を震わせ笑おうとしました。笑えなかったけれど。
そして揺れは大きいだけでなく、長かった。
どのくらいの時間だったかは覚えていません。ただこれもまた、経験したことがないほど長く感じました。実際にとても長い時間揺れていたとあとから知りました。
あの日は3月にも関わらず雪がぱらついていて、雲は重苦しく垂れこめ、漫画のようなTHE・悪いことが起きる状況が出来上がっていました。
揺れが収まってから外に避難し、寒さに耐えながら先生の指示を待ちました。
二度目の登場かっこつけたいお年頃私、不安な素振りを見せないために、BSのヘ〇リアのテレビ放送が予定通り行われるか心配という話をしていたのを覚えています。アホか。
自分語りが予定より多くなりました。
このように、震源の近くで当事者となった私。
先ほど申し上げた通り「死」の近くにはいませんでしたが、震災による「死」を感じる機会は遠方に住んでいる方よりも少しだけ多くありました。
中学のとき同じクラスに海辺から転校生が来たり、高校のすぐ近くに多くの仮設住宅が建てられたり、第十八共徳丸*2をこの目で見たり。
全国ニュースでは被災地の様子が滅多に取り上げられなくなった数年後、時を経ても尚、県内ニュースでは毎日のように被害を受けた場所での「現状」が放送されていました。希望も絶望も。
私が進学を機に東北を離れてからこの地で震災の話題に触れたのは、アンナチュラルで一体何回目なんでしょう。
全国区で毎日震災の話題を取り上げることを求めているのではありません。
今この時期に、アンナチュラルで震災の話を取り上げてくれてよかったなと言いたいわけです、要は。やっとアンナチュラルに戻ってきた。
現地のカルテは流されて、集められた歯科医師は遺体を触った経験もなく、人数も足りなかった。身元不明の遺体がたくさん出て、遺体の取り違えもあった。
神倉さんは災害担当で現地に行ってた。来る日も来る日も運ばれてくる遺体。「山ほど見た」と言ってた。身内の遺体を探してる家族も、いつまでも帰れない遺体も。
私も知らなかった、身元確認に加わった歯医者さんの話。
これは中堂さんのセリフですが、彼が語った当時の状況と神倉さんが奔走したこと(全国の歯科カルテのデータベース化)を実際に目指していることが書かれたサイトを見つけました。
アンナチュラルはフィクションです。しかし現実と繋がる部分が多く、生々しく心に突き刺さります。ときに現実そのものを提示していることもあるようです。
そしてもう一つ。
奇しくも8話が放送された3月2日には岩手県大槌町の女性の身元が判明し、ご家族の元へと戻られたんだそうです。不思議な縁を感じました。
身元が分からず、亡くなってからも我が家に帰れない方は今もなおいらっしゃいます。
神倉さんが、日本歯科医師会の皆さんが目指していることが一日も早く実現して、帰れますように。
8話について言いたいことはまだまだあります。
印象に残ったセリフなどを軸に。
タイトル『遥かなる我が家』
「遥か」には距離・時間の非常に隔たっているさま、心理的に非常に隔たっているさま、などの意味があります。*3
距離・時間→ヤシキさんの奥さん(美代子さん)
心理的→久部くん、ミコト
距離・時間と心理的両方→町田三郎さん
遥かなる我が家……このように表されるのでしょうか。
中堂さんの帰りたい場所は、夕希子さんのところなのかな…とも思ったり。(うっ)
毎回タイトルから素晴らしいです。
死ぬのにいい人も悪い人もない。
たまたま命を落とすんです。
そして私たちはたまたま生きている。
たまたま生きてる私たちは、
死を忌まわしいものにしてはいけないんです。
仲の良かった奥さんが喧嘩別れしたまま亡くなったことに、自分にバチが当たったんだと語るヤシキさん。間髪入れずに誰のバチでもないと神倉さんが言ったセリフ。
恐らく8話で最も視聴者の心に残ったシーンではないでしょうか。Twitterのハッシュタグを見ていても、このセリフについて語っている方がたくさんいらっしゃいました。
先日、大杉漣さんを看取った松重豊さんが語ったことからも話題を呼んでいます。
「忌まわしい」には、不吉なことである、嫌なことである、縁起の悪いこと、不愉快なことなどの意味があります。*4
年齢、性別、職業、" いい人 "、" 悪い人 "。死ぬというときにそれらは何も関係ない。たまたま死ぬ。生きている私たちは、たまたま生きている。
自分の身にだって、いつ死が訪れるか分からない。生きていることの尊さを感じました。
それに、大切な人の死を不愉快だなんて言ってしまっては、悲しい。死んでからだって心穏やかに眠ってほしいです。思い出も死も、あたたかなものであってほしい。
なんだかまとまりがないですが、今の私はこう思いました。
いつか若輩者じゃなくなったとき(そんな日が来るのか分かりませんが)、またこの言葉を思い出したら、どんな感想を持つのでしょうか。何度でも噛み締めたいセリフです。
死体をいくら調べても、生き返らせることはできない。
久部父のセリフ。
1話で法医学者目指さない?とミコトに誘われた久部くんは
「法医学って死んだ人のための学問でしょ。生きてる人を治す臨床医のほうがまだ…」
と言いました。死を忌まわしいものと見ていることを感じさせるセリフです。
『死体』を『扱う』法医学者を何歩も引いて見ている久部父の言葉はこれを思い出させました。
「法医学は、未来のための仕事。」
1話での久部くんの言葉に、ミコトはこう返しました。回を追うごとにより深く響いてきます。
『バチ当たり』の『ろくでなし』が!!!
ビル火災の被害者のなかで唯一他殺の疑いがあった町田三郎さんのお父さんが、涙をためながら息子の遺体に向かって放ったセリフ。ムショ帰りで勘当されており、それ以来の再会でした。
ヤシキさん「バチが当たったんだよ。」
久部父「息子の好きにさせてもろくなことにはならないんです。」
久部「六郎のろくはろくでもないのろく。」
繋がっていることに気づいたときは鳥肌が立ちました。
そりゃ久部くんも真実見つけるために頑張りますよ。
私たち、どこへ帰るんだろうね
この先独身で子供もいないまま両親が死んだ場合、無縁仏まっしぐら~と言う東海林さんとミコトの会話のなかでのセリフ。
こわ~~~い!あっはっはっは!(涙)と笑っていたけど、響くなあと思いました。
帰る場所。
それは実家や配偶者や子供だけではないということが描かれていましたが、私が帰る場所はどこになるんだろうと思いを巡らせました。
何年先になるか分からないけど、私はどこに帰るんだろう。
故郷に帰りたかった町田さん、本当は帰りを待っていた両親。
わだかまりが解けたのを見届けた直後に久部くんは帰る場所を失った。
長い間保管庫で眠っていたヤシキさんの奥さんは、ようやくうちに帰ることができた。
帰ることが出来た人たち、帰る場所を失った自分。それでも、UDIでは待ってくれてる人たちがいた。
おかえり、おかえり、おかえり。
短い時間で見事な対比、さすがとしか言えません。久部くんの涙も泣けた。
その言葉を聞くと、笑顔が思い浮かぶ。
「おかえり」って、とっても素敵な言葉ですね。